
写真を拡大する | トンローの市場の外側のお花屋さんの奥の壁には交通標識がいっぱい貼ってありました。
そう、ここは自動車学校なのです。
日本のような敷地をもった自動車学校が少なかったバンコク。
私は「いきなり路上教習所」で習って免許をとりました。
先に教習を受けた勇気ある先輩の話では
「助手席にブレーキがないので先生が自分の足の上から急ブレーキを踏む。
10回以上も踏まれたので、足が腫れあがってしまった。」
足を踏まれるのはマッピラなので
早めにブレーキを踏もうと決心して臨んだ一日目。
オレンジ色のオンボロ車にはフェンダーミラーがない!
バックミラーは輪ゴムでかろうじて固定してある。
「ギヤはこれ、ブレーキはこれ、アクセルはこれ。はい、スタートして。」
ひょええええ!
もちろん、車のボディにもテッペンにも
教習車とか仮免中とかの表示は一切ナシです。
トンロー通りは真ん中へんの両側にも小規模な市場がある。
市場の中に道路を通したのかも。
ともかく買い物客が四六時中横断しているのでこわいったらありゃしない。
おもわずブレーキをふむと「踏むな!行け!」
ひょえええええええ神様!
そうやって肝をつぶしつつ2週間すると
いちおうはUターンも車庫入れも終了して警察に試験を受けに行きました。
「校長先生がついていくからぜったい大丈夫!」
って何が?
外国人は筆記試験を英語で受けられる。問題は簡単。
でも道路標識と視力テストはタイ語。
うーん困ったという顔をしてると警官がやってきて「OK、OK。ノープロブレム。」
車庫入れに見事失敗しても「OK、OK。はいここで○○バーツ払って。」
その日のうちに交付されたMT車の免許証。
あと1週間路上で練習して晴れてコースを終了しました。
しっかし、私の運転ぶりをみた夫は
「ぜーったいに運転してくれるな!」
住宅街で歩道に乗りあげちゃったんです(^0^)
当時、その免許を書き換えれば日本でも運転できることになってました。
(今は出来ないそうです)
でも日本の交通規則を何も知らないで運転するなんて怖すぎ。
結局日本で年齢相応の教習料を払ってAT車の免許をとりました。
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写真を拡大する | わかりにくい写真でごめんなさい。
遠くにみえるのは風車です。
風車の力によって海水を流しこんで塩を作っているのです。
当時、レヌーカさんの歴史を巡る旅とは別に、もう少しカジュアルな遠足にも参加していました。
昔インターナショナル・スクール・オブ・バンコクで先生をしていた方が
バンコク近郊のちょっと珍しいところに連れていってくださるのです。
エアコンなしのマイクロバスで
「何が起こってもあわてない、怒らない、タイを楽しもう!」がコンセプト。
この風車はホアヒンへ行く途中あたりにありました。
帆はムシロでできているのです。
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塩の山です。
ローカル・トレインに乗ったり小船に乗ったり、椰子林の中でピクニックしたり。
地元のあぶり肉とカオニョ(もち米)だけのランチでも
どうしてあんなにおいしかったのか?
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近くの漁港で
網から獲物をはずす作業をしていました。
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写真を拡大する | ワタリガニが沢山かかったようです。
これのカレーって超おいしいのよね♪
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干したサカナを並べて
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写真を拡大する | この川ではこんな網で
サカナをつかまえます。
学校へいく子供達だけのボートが
行きかってました。
子供達の笑い声がきこえてきそう・・・。
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写真を拡大する | ところでタイ人は子供とお年寄りにとっても親切です。バスの中でもかならず席を譲ってくれます。
反対からいうと、タイの子供達はとっても甘やかされて育つ。
なんといっても学校の外にお菓子の屋台が沢山きているのが日本と違う。
お休み時間に買い食いできるのです。
中には幼稚園の中にキオスクがあるところも。
こうやって、虫歯いっぱいの
他人にも自分にも寛容なやさしいタイ人ができあがる・・・。
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このあぶり肉がまたおいしくてね〜♪
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中国系のDNAを受け継ぎ、男の子には特に甘い。
家でも学校でも甘やかされて育つので、たよりないのができてしまう。
わたしゃ銀行に行っても男のテラーのところには行かないのよ。
もたもたするから。
浮気しても誰も非難がましいことを言わない。
男はみんなそんなもんよ。
いきおい、女はいやがうえにもしっかりと
自分と子供の食い扶持は自分で稼ぐ甲斐性が身についてしまう。
・・・と知り合いのタイ女性がいうておりました。
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写真を拡大する | お寺に犬を捨てにくる人多し。
ここで処分されることがないことを知っているから。でもお寺で大事にしてくれるわけではない。
かわいそうに皮膚病が蔓延してました。
日本ではいまどき狂犬病も野良犬もいないようですが
外国の野良犬には要注意です。猫にも猿にもリスにも要注意。
狂犬病といえば、こんなことがありました。
娘の英語の先生(スコットランド人)のところに若い女性二人が泊まりにきました。その家には3ヶ月のパピイがいたのですが
予防注射をする前に狂犬病にかかって死にました。
二人はサムイ島だかどっかの離れ小島に旅立ったあと。
「若い子たちはすね毛の始末にカミソリ使ったりするでしょう?
そうすると皮膚には見えない無数の傷がつく。
それをもし子犬がなめてたとしたらゼッタイに感染する!
発症前になんとかしなきゃと八方手をつくして連絡とろうとしたけど
何しろ離れ小島でしょ?ダメなのよ。
もう本当に心配したわ。
英国大使館に頼んで新聞に載せたのよ、懸賞金かけて。」
そんなこととはつゆ知らず離島ライフをエンジョイした娘達は
ひょっこり電話をかけてきました。
「ハローおばさまお元気ぃ?」
「んもおおおおおおあなたたちっ!!」
結局、彼女達には感染してなかったそうです、めでたしめでたし。
発症してたら全島民が狂犬病になってたかも。
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写真を拡大する | 私はバンコクで、ボランティアというものを初めて知りました。それまでは「お気の毒な方のために献身的なお世話をする」というイメージが強くてとても私にはできないと思ってました。
ところが、私は意味をとりちがえていたようです。
バンコクの博物館でボランティア・ガイドをしている女性がいました。
「興味をもって勉強したことを旅行者に話してあげるのはとっても楽しいわ。」
目からウロコ。
こういうのもボランティアっていうのか!
アメリカ国内便でダブルブッキングが出た場合
「誰かボランティアいませんか?
1便遅らせてくれた方はワンランク・グレードアップとホテル宿泊券つけま〜す。」
とか
「どこどこ往復航空券さしあげま〜す。」と呼びかけるそうですね。
夏休みにそれを目いっぱい利用して国内旅行しちゃうツワモノもいるとか。
なんておいしいボランティア!
ともかくボランティアって
自発的にする無償の行為、が本来の意味だったんですね。
バンコクで気軽にはいった水彩画クラスは
教育大の先生が主宰していらしたので
大学での講義や写生会にもよく参加させていただけました。
アユタヤや水路での写生は汗ボタボタでしたが
学生達との交流が楽しかったです。台湾からの留学生と筆談したり。
このクラスには3名のタイ女性がいましたので
タイに関するいろいろな話を聞くことが出来ました。
そのうちの一人はしばらくジム・トンプソンのお店に勤めていましたが
バカバカしくなって辞めました。
なぜかというと勤務中の服はすべてジム・トンプソンのシルク生地で
仕立てなければならないそうで。
バンコクで一番高級なお店の生地で!
南アフリカ、フランス、ベネズエラ、バングラディシュ、フィリピン、アメリカなど
国際色豊かなメンバーの話を聞くのも楽しみでした。
そうして3年ぐらいたったある日
「ねえ、そろそろ展覧会してみない?○○ホテルで。」
へ?
どんな音痴でも大金さえ積めばカーネギーホールで公演できるっていうけど。
「だぁいじょうぶっ。ソロプチミストがお膳立てしてくれるのよ。
売利上げの半分は慈善事業に寄付しましょ。」
なんと強気な。
わたいらみんな素人やで。
ところが予想に反してたくさんのお客様が集まり、私の絵でさえも売れちゃって。
私達は、何の苦労もなく楽しみの一部をおすそわけできたわけです。
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右端がプラティープさん
クロントイのスラムで保育園をしていらしたプラティープさんは
とてもしっかりしたあかるい印象の方でした。
プラティープさんについてはご存知の方も多いと思いますが、クロントイで生まれ育って住民の生活向上のためにさまざまな活動をしている方です。
http://www.dpf.or.th/jpn/origins.html 参照
スラムにも案内してくださいました。
現金収入を求めて田舎からでてきた人たちが
とりあえず身を寄せ合う場所は
広大な湿地の上に粗末なバラックがエンエンと建てられてて
板を渡した通路で行き来するのです。
暑くて臭くて、それでも細い水道管が通っているので
水浴びはできるのが救いです。
仏像に飾る花輪をわずかばかりの賃金で作っている女性たちがいました。
こんな、その日暮らしの人たちなのに、阪神淡路大震災の時に
「いつも日本にお世話になっているから」
と義捐金を集めて送ってくれたそうですね。
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