
写真を拡大する | ボリビアも残すところあと2日。あっという間の日々。もう、ソローチェピルは飲んでいません。頭痛もなく、絶好調の目覚め。
7:00 Crillon Tuursの契約ガイドJavier(ハビエル)がホテルにピックアップに来てくれ、チチカカ湖太陽の島、1泊2日の旅の始まり。そして、サプライズが一つ。なんと日本語の通訳のセツコさんが同行してくれるとの事。ただし、私のスペイン語の勉強のためにも、訳してもらうのは、私が理解できなかった部分だけ。
ツアーの参加者は私を含め5名。メキシコ人のご夫婦、スペイン人のカップル。そして私。そのグループごとにガイドが1人つく。ただ、私は一人旅なので、メキシコ人のご夫婦とジョイント。それでもかなり贅沢な旅。
バスの外にはアンデスの山々の白い頂。写真はワイナポトシ山。
ワイナポトシは、そんなに雪山経験がなくても簡単に上れる山で、雨季のこの時期は、大勢のクライマーが登山ガイドとともに山に入っているという。
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写真を拡大する | バスはHuatajataに寄り、トイレ休憩と小さな博物館を見学。この博物館はCrillon社のもので、ボリビアのティワナク文明のころの話や、植民地支配下のころの話を簡潔に展示してあり、さらに日本語での音声案内ヘッドセットでの音声解説もあり◎。
私は、ここで初めてボリビアの女性の伝統的なワンピース衣装(写真)をみて、ちょっと感激。写真撮影不可とあったのだけど、博物館入り口の案内のおじさんに「衣装だけ撮影したいのだけど、ダメかな?」と聞いたら、OKの返事。
今、田舎のおばさん達が好んで着用しているという流行りのフランス風ショール+フワフワスカート+イギリス風の帽子より、この伝統衣装のほうが素朴でかわいいと思うのだけど。
Huatajataは港にもなっていて、もうチチカカ湖が目の前に広がっている。ほんとに青い。Mar(海)みたいだ。
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写真を拡大する | また、バスに乗りCocotoniという小さな船着場に到着。
Cocotoniで高速艇に乗り換え、Copacabana(コパカバーナ)を目指す。約1時間の船旅。船内では、チチカカ湖の説明。
20分くらいにわたるスペイン語の説明は聞き取りが難しい。知らない単語がたくさん出てくると、そこで聞く方のシナプスが切断され、集中力が切れてしまう。スペイン語からの内容で理解できたのは1/5くらいか。悔しい。
11:00 コパカバーナの港(写真)に到着
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写真を拡大する | コパカバーナも観光地。
Santuario(カセドラル:礼拝堂:教会)までの参道には、民芸品を扱うお土産屋さんがたくさん並んでいる。そして、お土産屋さんの上階は宿泊所(Alojamiento)になっているところが多かった。写真の水色のお土産屋さんも二階はAlojamientoとなっていた。
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写真を拡大する | Santuarioに到着。ボリビアのお正月休暇ということもあり、ボリビア人の観光客のほうが多い。
中には金箔で飾られた礼拝堂がある。この礼拝堂も美しかったけれど、私が感動したのは、礼拝堂の裏にある小さな倉庫のような細長い小屋の中にいるマリア像。このマリア像、ボリビア人のような褐色の肌をし、手には土着の神を表す飾り物を持っている。
その昔、植民地時代だったころ、アンデスの人々は強制的にキリスト教に改宗させられたにも関わらずスペイン人が建設したSantuarioには入ることができなかった。そこで、彼らは自分たちのための礼拝堂を建て、自分たちの肌の色に似たマリア様をまつった。
今では定着したキリスト教。でも、その昔、彼らは自分たちのルーツである土着の神ピラコチャ、パチャママの存在を残しつつもキリスト教を受け入れ、土着の神と融合させたマリア像を自分たちに似せて作った。
コパカバーナに行かれる方は、ぜひ裏にある小さな礼拝堂の見学もおすすめ。
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写真を拡大する | Santuarioの前には、ハワイのレイのような花飾り等の装飾品を売る露店(写真)がたくさんある。
この花飾りは車のために使う。
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写真を拡大する | 花飾りで装飾した車(写真)
この車たちは教会で祈祷を受けるためにコパカバーナに来ている。
なんだか日本のお正月の風景とちょっと似ている。
Semana Santa(聖週間)になると、ご祈祷を希望する車で、コパカバーナ周辺の道は大渋滞になる。
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写真を拡大する | 再び、高速艇に戻り、太陽の島へ向かう。
太陽の島の近くで漁をする人たち(写真)。二艘の船がペアのなり、共同で網を引き揚げている。
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写真を拡大する | 太陽の島のPilcocainaに上陸。(Umaniの港ではない)
Pilcocainaには遺跡があり、それを見学するため、ここに上陸する。
宿泊のための荷物は船に置き、身軽な格好で船を降りる。
船はここからUmani港へ行き、そこで荷揚げをし、ロバさんが荷物をホテルまで運んでくれるらしい。
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写真を拡大する | Pilcocaina遺跡。
石が崩れることなくきれいに積んである。
切り出した石と自然の石の両方を使っている。さらに奥には3重の門(聖なる場所の入り口はたいてい3重の門になっている)がある。
この遺跡は、その昔、島に上陸するときには最初に立ち寄り、コカの葉や薬草を燃やし、身を清めてから島に上がったという。
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写真を拡大する | Umani村に向けて歩き始めると、フランス風ショール・スカート・イギリス風山高帽子のおばちゃん登場!
「写真をとってもいいから、チップちょうだい」のおばちゃんかと思ったら、違った。れっきとした仕事でここにいる方だった。
彼女のお仕事は入村料の徴収。太陽の島では、観光客が各村に入るときには入村料が必要となる。−−−確か各村5Bだと言われた気がするが、書き留めなかったので正確な情報ではない。
ここで、観光客の分のみ入村料を支払い、領収書をもらう。(もちろん入村料はツアー代金に含まれているのでここで私が支払う必要はなかった)
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写真を拡大する | おばちゃんも一緒にUmani村に向けて歩き出す。
どうやら、船が着くと村から降りてきて、入村料を徴収するらしい。いったい1日にこの坂道を何回往復しているのだろう。
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写真を拡大する | 太陽の島の段々畑(Umani港そば)。
結構な標高差があるが、ここでは標高差を利用しての作物の作付けは行われていない。
ペルーのクスコ近辺の村やマチュピチュでは同じような段々畑があり、標高差による気温の差を利用し作物を作り分けている。
太陽の島は、altiplano(アルティプラーノ::標高のものすごく高い高地)にあるため、強い風が吹き抜け、段々畑くらいの標高差では上と下での気温の差が生じない。さらに天気が良い日と悪い日では最高気温が10℃以上違うため、寒さに強い植物しか栽培できないとの事。
同じアンデスの段々畑でも、利用の仕方にちがいがあった。
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写真を拡大する | Umani漁港とUmani村が見えてきた(写真)
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写真を拡大する | ボリビアの国花のカントゥータ(写真)
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写真を拡大する | Pilcocaina遺跡から約30分。
Umani村の坂道の中腹にある今晩のホテル、Posada dal Incaに到着。
中庭でコカ茶をいただく。ここのホテルでいただいたコカ茶が一番おいしかった。
コカの風味とかすかなハーブのさわやかな香り。カップの中にはコカの葉っぱそのものしか入っていなかったけど、淹れるお湯に何か工夫がしてあるのかもしれない。
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写真を拡大する | 少し遅めの昼食をいただく。
写真は、香辛料の一種の野菜。
ボリビアでは、どこのレストランにいっても、緑や赤色の少しピリッとした香辛料が置いてある。そして、パン・スープ・肉・ジャガイモ・魚…。どのお料理にこの香辛料を付けても、お料理の味がさらに引き立つ。
私の大のお気に入りの香辛料である。
この香辛料の名前は何というのだろうか。
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写真を拡大する | 夕方まで、自由時間ということなので、さっそく島の散策を開始。
ホテルの外に出ると、土産物(商品)を持った子供、おばさん、そしてロバが坂を下りっている。私もそれに倣い、坂を下る。
荷物の運搬は、人間が担いで運ぶ。またはロバにお願いする。の2方法のみ。
私たちの宿泊荷物もこのようにロバが運んでくれたに違いない。
この島のすべての村に電気のラインがひかれたのはたった5年前。お土産屋さんのおばさんの勧誘さえも、のんびりしている島である。
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写真を拡大する | Umani港まで下る途中、明日訪れる月の島(写真)が見えた。
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写真を拡大する | Fuente del agua sagrada(生命の泉)(写真)へ到着。
この泉、若返りの泉と言われ、聖水としてあがめられている。
ホテルから、ここまで、つづら折りの道が続く。実際はそんなに長い距離ではないのだが、初めて歩いたので長く感じられた。途中のお土産物の露店のおばちゃんに道を尋ねた。、「生命の泉ってどっち?」…と言ったつもりだった。ところが私が言ったスペイン語は
“?Donde esta el fuente del agua suegra?→日本語に訳すと、「義理の母の泉はどこにあるの?」 −−−これを聞いたおばちゃんはしばらくきょとんとし、間を明けてから「ああ生命の泉だね。もう少し先。あと2,3分さ」。
おばちゃんがきょとんとしてしまった理由は、私は使うべき単語を間違えたのからだ。segradaというべきところをsuegra(義理の母」と言ってしまった。似ている単語だが意味はまったく異なる。
「若返りの泉(生命の泉)」が「老化の泉」になってしまっていた。
そんな泉には、私だって行きたくない。
やはり、スペイン語は難しい。
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写真を拡大する | 下から観光客が上がってきた。
ここを下りきればUmani港だ。
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写真を拡大する | Umani港から撮影した生命の泉までの長い階段(写真:翌朝人がいない時間帯に撮影した画像)。入り口にはインカ帝国の祖、マンコ・カパックとその妹であり妻であるママ・オクリョの像が立っているが、はっきり言って、これらの像は遺跡にはそぐわない。これらの像は、ない方がいいかも。とこっそり思った。
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写真を拡大する | 船が着いたので、港には荷がたくさん置いてある。
荷を積んだロバとともに、今降りてきた坂道を上る。
標高3900m、富士山より高いところにある湖チチカカ湖。そこにある太陽の島。
上りはやはり息が切れる。でも、楽しい。わたし、ボリビアでも、やっていけるかも…とか考えてしまう。
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写真を拡大する | 道は、昔のインカ道がそのまま石畳として残っている。
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写真を拡大する | ホテルの前に到着したが、まだ夕方までは時間がるので、そのまま上りを継続。Umaniの村の奥へ進む。島の反対側が見えた(写真)
Umani村は太陽の島の中で一番大きな村で、hostalやAlojamientoといった宿泊施設も10件以上はあった。
ものすごくおしゃれな感じのガラス張りのhostalから、いかにも民家の1室を貸しますタイプのalojamientoまで色々な宿があった。
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写真を拡大する | ロバだけではなく、人も荷を運ぶ。
Umani村の小さな商店の壁にはhay pan「パン、あります」の張り紙。インカ道の道端では、民芸品のお土産を売るおばさんがいる一方、揚げたポテトやウィンナーといった島の子供向けのおやつを実演販売しているおばさんがいたり、なんだか面白い。ロバやリャマ、豚、牛といった家畜も放し飼い。
夕方、放し飼いの豚が舎に帰る行進にでくわしたが、インカ道いっぱいの豚。豚は我が物顔にインカ道を歩いていく。道行く人間は道のわきの丘に上がり豚が通り過ぎるのを待つ。
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写真を拡大する | 夕方、ホテルに戻り、皆で夕日を見に行く。下の方に厚い雲があり、湖に沈む夕日は見られなかったが、夕日色に染まったチチカカ湖は美しかった。
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写真を拡大する | ホテルに帰ると暖炉に火が入っていた。この暖炉のある部屋は、バーにもなっていて、夜は大人のひと時をこの部屋で過ごせる。(私は夕食後すぐにスヤスヤだったので、残念ながら大人のひと時は過ごせなかった)
夏でもチチカカ湖の夜は寒い。風が吹き抜け、気温は1℃位まで下がるという。部屋には暖房と布団には電気毛布。寝るまでは暖房で部屋を暖め、ベットは電気毛布で暖か。快適な一夜だった。
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写真を拡大する | 翌朝5:00起床。実質的にはボリビアで過ごせる最後の1日。
5:40、暖かく身支度を整え、朝の散歩に出かける。
島の高いところから、チチカカ湖を見下ろす。
チチカカ湖と対岸のアンデスの山々がうっすらと朝焼けにそまる。
アンデスの頂が紅く染まるのはこの朝焼けの一瞬だけ。
雲はあったけど、見れて良かった。
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写真を拡大する | 散歩の目標はUmani村のさらに向こうの丘の上に見えている石の遺跡風の建物(写真)。昨日からすごく気になっていた。
歩き出す。
道はわかりやすい。道の両側には石が置いてあり、メインのルートを見失わないようにできている。
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写真を拡大する | 遺跡風の建物に到着。
あれれ、ガラスが入っていて窓になっている……。遺跡ではないのかも??
あとで、ガイドのハビエルに聞いたところ、これはMirador(展望台)なんだって。確かにここに上ると、島の南半分はすべて見渡すことができる。
Mirador(展望台)も景観を損ねないように遺跡風に作ってあるのかな?
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写真を拡大する | Miradorからは隣の小さい村Challa(写真)が見えた。
Challa村は、Umani村で働く人たちが多く暮らしている。
こんなに早い時間なのにChalla村からやってくる村人の何人かとすれ違い、Buen Dia!の挨拶を交わす。
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写真を拡大する | 今度は、昨日行った生命の泉へもう一度行くため、坂をぐっと下る。昨日は観光客がいっぱいでゆっくり見られなかったので、今朝はゆっくり見学。と思ったら先客がいた。
村の少年だ。水汲みをしている。
水道の整備はできていないため、このように毎朝水を汲むのが彼らのお仕事。
毎日若返りの泉の水を飲んでいれば、年をとらないかも……ね。
ポリタンクの水をもって、あの坂を上るのはかなりの重労働だ。がんばれ少年!
2時間の朝の散歩後、おなかが空いたので、ホテルに戻り8:00に朝食。
ガイドのハビエル、日本語通訳のセツコさんと一緒に食べる。卵料理が来るのを待ちながら、話をする。
ガイドのハビエルは、大学4年で心理学を勉強していると言っていた。遺跡が好きなのでガイドは夏休み中の臨時のお仕事としてやっていると言う。
ハビエルに「今は、日本の学生も冬休みだと思うけど、日本の学生のみんなは、休み中は何やっているのかな?」と尋ねられた。今の日本の大学生が休み中に何をやっているかは、私にはさっぱり想像もつかない。そこで、「私が学生のころは、卒業試験に更に薬剤師の国家試験があったから、今頃の時期は必至で勉強していたよ」と返事をしたわけだが、ハビエルは納得しない顔。「私が学生の頃……していた?ってどういう意味??」と尋ねられた。
話を黙って聞いていた通訳のセツコさん、噴き出しそうに笑いながら、私に日本語で、次のように言った。「ハビエルはね、あなたのこと大学生だと思っているのよ」
……。
納得した。ボリビアに来てガイドと雑談をするとお互いの年齢の話になる。東洋人の年齢はボリビア人にとって推測しにくいものの一つであるらしいことはわかっていたが、ハビエルの推測違いは、甚だしい。
私もセツコさん同様笑いながら、ハビエルに中学生の子供がいること。ついでに夫もいることを説明した。ハビエルは自分の間違えに目が点の状態。ついでにテーブル脇のボーイさんまで話に興味を示し、そばに寄ってくるものだから、話の成り行き上、実年齢を打ち明ける羽目となった。
ハビエルへ。「女性の年齢は聞くものじゃないヨ」
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写真を拡大する | 9:00 ホテルを出発。宿泊用の荷物はロバさんにお願いして、身軽な格好でトレッキングに出発。まずは船で、太陽の島の北部のChinkana(チンカナ)に向かう。
Chinkanaには小さな船着場がありそこで下船。
波打ち際から遺跡までいきなりの山登り。
遺跡までそんなに距離はないが、結構な急登。
息が切れる。
いつも高地で生活しているガイドのハビエルと通訳のセツコさんは、息の切らさず坂を登る。セツコさんなんて登りながら携帯で話をしている。登るだけでハアハア息を切らしている私には話をしながら登るなんてまねのできない芸当。凄い!
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写真を拡大する | Chinkana遺跡に到着。
この遺跡はインカ時代に建築され、内部の構造は迷宮のように作られている。遺跡の中に入ると道が分からなくなる。ガイドも何度か道を間違えていた。
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写真を拡大する | 遺跡の中にはマチュピチュ遺跡にある様な飾り棚のような石組があった。
この遺跡でも祖先のミイラをあがめていたのだろうか。
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写真を拡大する | 青い空と遺跡がよく映える。
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写真を拡大する | Mesa ceremonial(儀式テーブル)
真ん中のテーブルの周りには、小さな石が12個、椅子のように配置されている。
ハビエルは何のために作られたかはまだ、わかっていない。と説明していたが、12個という数から、カレンダーや日時計等の天文学的なことに使っていたのではないかと推測できる。
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写真を拡大する | ここから、Challapampaの港まで歩く。インカ道は写真のように1本道なので間違うことはない。
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写真を拡大する | 石畳の上を、景色を楽しみながら歩く。
日陰に、白いものを発見。塩?
答えは雹が解けずに残ったもの。
最近ボリビアでは夏だというのに雹が降ることがあるという。以前はそんなことはめったになかったのに最近は毎年見られるらしい。気象異常がこの地でも観測されているようだ。
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写真を拡大する | ChallaPampa村に近づくと、畠が増えてくる。写真はイモ畠。
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写真を拡大する | 段々畑の作物。色々な作物が栽培されている。
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写真を拡大する | この島で初めて牛とすれ違う。いつも会うのはロバが多かったので、新鮮。
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写真を拡大する | Challapampaの海岸。
バックパッカーの人たちはテントで宿泊。夏とはいえ夜間は0℃近くになるというのに、みんなたくましい。
そして、11:00 私たちもここから船に乗りUmani村に戻る。
往復の船を合わせて、3時間だった。
今回のトレッキングで歩いた時間は約1時間。トレッキングというよりお散歩に近い。
Umani村からChinkana遺跡までは歩くと3時間から4時間かかる。
今回は1泊2日と時間が限られていたため、船を利用し、楽ちんなトレッキング。2泊できるのなら、中日は1日中島の中を歩き回りたかった。
Umani村のホテルの庭のテラスから、チチカカ湖を眺めながらの昼食。
スペイン語の会話が飛び交う。
スペイン語の嵐となると私の脳のキャパを超えてしまい、聞いて理解しようと努力するのが精いっぱい。
スペイン語習得への道はまだまだ遠い。
14:00まで、コカ茶を飲みながら、チチカカ湖を眺め、過ごす。
ゆったりとした時間を過ごすちょっと大人な旅の過ごし方
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写真を拡大する | 14:00 月の島に向けて出港。
月の島にある遺跡Virgenes。
その昔、インカ時代のころ、この島は乙女のための島であった。
ここで彼女たちは機織り、料理といったアンデスの女性に必要とされる技術を身に着けた。そして、最高の機織り・料理の才能のある女性がインカ皇帝の妃として選ばれ、太陽の島にいる王に嫁いだといわれている。また、選ばれる女性の容姿は一切問われなかったそうだ。
写真は復元された遺跡の一部。
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写真を拡大する | 実際に残る当時の石組(写真)。
写真中央で石のくみ方が変わっている。
建設当時、何があったのだろう?
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写真を拡大する | 遺跡の裏に回り、当時の小部屋の様子を知ることができる。
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写真を拡大する | 高速艇にのり、帰路に着く。
船からはアンデスの山々の白き姿が見えた。
ラパス着19:00。
ボリビアでの旅の日々は、もうこれでおしまい。
7日間、早かった。そしてメチャクチャ楽しかった。
ボリビアにいると、スペイン語が嘘のようにスラスラ出てくる。たまに英語を話すと単語がスペイン語になってしまい、かえって混乱してしまうこともあった。
最後に感謝の言葉を伝えたい人がいる。
Sさん、9月に「飛行機が取れたから、ボリビアに行ってくるね。一人で。」と言い出した私を快く送り出し、11日間娘の寝食の世話をしてくれてありがとう。そしてMさん、11日間、母のわがままな旅行に理解を示してくれてありがとう。
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