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アフリカのソフトテニス普及を目指す【日記2011.10.07 久々の関西ザイール会】
アフリカ >> コンゴ(旧ザイール) >> キンシャサ
2011年10月07日〜2011年10月07日 / 写真7枚
キンシャサホテル情報
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(ザイールとは、現在のコンゴ民主主義共和国)
★ 日本が造った、アフリカナンバーワンの橋「マタディ橋」
2011年10月7日、かつて日本政府よりザイール政府職員として派遣され、バナナ・キンシャサ輸送軸増強計画に携わった面々が尼崎に集まった。
この計画はアフリカ横断鉄道計画の一環として、1930年ごろからベルギーが始めていたものだが、その一部を日本の財政援助で進めようとしたものである。
日本政府は当初バナナ・マタディ間鉄道建設を目指したが、石油ショックで資金不足となり、現在のところマタディにおけるザイール川をまたぐ「マタディ橋」の完成で一服状態である。
それでも借款(その後ザイールの返済不能から供与に変わる)額は1億ドルを超え、日本政府としては従来の記録を塗り替える、大型プロジェクトだった。
私が現地にザイール政府の責任者として派遣されたときは、いろいろな事情からプロジェクトは暗礁に乗りあげ、ザイール政府から日本人の責任者派遣を拒否される状況だった。
★ 求められない日本人から求められる日本人へ
私はプロジェクトの推進より、両国の友好を第一目的とし、「追われる日本人から請われる日本人へ」と努め、数年後のマタディ橋完成時には、ザイール政府職員だった日本人60余名全員に「国民栄誉賞」をいただく成果を得た。
しかしこのプロジェクトは完成後、莫大な投資に見合う利益が少なく、日本のODA(政府開発援助)の「無駄使い」の例として、悪評を浴び続けていた。
ところがこの数年見方が変わり、ODAの成功例として日本政府内に「マタディ橋研究会」が組織化され、今回現地視察メンバーの一員として、かつての日本政府派遣のザイール政府職員だった、溝畑、高松の二名がザイールを訪れ、今回のザイール会はその報告会を兼ねたものだった。
成功例とされる理由は、スムースな工事完成、完成後今に至る良好なメンテナンスレベルの維持、そして何よりも注目すべきは、幅広いザイール人の、日本に対する好感度の高さと言う。
★ アフリカにソフトテニスを復活させたい
私は成功の要素に、業務外の私的な活動として、日本生まれのスポーツ、ソフトテニス普及をしたことが大きいと思う。
この活動は日本体育協会の協力を得て、5年後にプレヤー人口10万人、アフリカ選手権の開催を中長期目標に、毎週末欠かさずに公式試合を催しながら、進められた。
私がザイールを離れるとき、メンバーは2千人に達していたが、軍隊、企業、一般市民、専門学校、中学校、小学校、監獄など、80近くのクラブが生まれていた。
ザイールのテレビ、ラジオ、新聞などの報道も多く、日本人はザイール社会に広く知られる存在だった。
その後ザイールに内戦が始まり、日本は大使館を含め総引き上げの時代があって、ザイール・ソフトテニス協会は、休眠状態を続けている。
私がザイールから離れて後三十余年を経過し、その頃の小学生が社会の中堅に育っている。
今回の現地視察に加わった二人も、ザイールでソフトテニス協会幹部と会ってきており、以前の動きが復活することが望まれる。
ただしそのためには、日本からの古ラケット、ボールなどの援助が不可欠なので、日本の若い皆さんの情熱を期待するや大だ。
私自身ザイールでのラケットやボールを作ろうとしていたが、果たせずに戻ってきている。
(詳しくは、片瀬貴文著「国鉄マンのキンシャサ日記」をご覧ください)
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