
写真を拡大する | ツアー最後の夕食です。
ツアー・メンバーのほぼ全員がウェザースプーンに行きたくてしょうがない様子。
正直、えっ!また?あそこ美味しくないから嫌だなあ、と思いつつもツアーメンバーと夕食を取るのも最後なのでご一緒することに。
木曜日特別メニューのカレーとビールで£4.99ナリ。
安いね〜。
ジャイアンツ・コーズウェイで写真を撮りすぎて、この時、カメラのバッテリー充電中。
携帯のカメラで取りました。
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写真を拡大する | 夕食後、カメラのバッテリーを取りに一旦ホステルへ戻り、再び他のメンバーとパブ、Crown Liquor Saloonで合流。
クラウン・リカー・サルーンは1826年に建てられたビクトリア調の超豪華な建物でしたが、私の撮った写真がことごとく失敗。
でも、パブで絵ハガキを買ったので気にしない♪
パブのイラストが入ったコースターまで頂きました。
その後2件目は、写真のパブストリートへ。
正しい住所は不明。
なんだか、新宿の裏通りを髣髴とさせる佇まいです。
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写真を拡大する | 翌日、午前中はベルファスト市内のブラックキャブ・ツアーに参加。
まず最初は、ユニオニスト、プロテスタント居住区へ。
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写真を拡大する | デリーの旅行記で、重いことをたくさん書いてしまったので、こちらはなるべく簡素にまとめたいと思います。
まあ、解説がなくとも、どちら側の言いたいことも一目瞭然です。
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写真を拡大する | 1690年、Battle of the Boyne(ボイン川の戦い)でオレンジ公ウィリアム(ウィリアム三世)はジェームス二世(スコットランドでは七世)を打ち破りました。
つまりは、プロテスタントがカソリックに勝利した戦いでした。
この地区の住民の方々にとっては、この戦争での勝利が今でも誇りであるということなのですね。
ちなみに私が勝手に作った歴代英国君主好感度リストでは、オレンジ公ウィリアムは最下位です。
リチャード三世やヘンリー八世よりも下に位置します。
グレンコーの大虐殺でマイナス80ポイント。
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写真を拡大する | ***リサーチ中***
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写真を拡大する | 見ているだけでぞっとするような、なんともおぞましい壁画です。
これほど人を不快にさせる絵はめったにお目にかかれません。
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写真を拡大する | 物々しい壁画の中にこういうのが混じっているとほっとします。
どこのエリアだろうが、平和を望む人達がいらっしゃることを認識させてくれます。
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写真を拡大する | オリバー・クロムウェル。
イギリスの歴史上の人物の中でも嫌われ度かなり高め。
ふーん、ここでは称賛に値する人物なのですねぇ。
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写真を拡大する | タクシーで移動して、プロテスタント居住区とカソリック居住区を仕切る壁がある場所へ。
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写真を拡大する | 延々と続く壁
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写真を拡大する | 高さ7〜8メートルはあると思われます。
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写真を拡大する | 警察官もいました。
(蛍光色ジャケットを着ている人)
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写真を拡大する | ベルファスト市内を周ったブラックキャブ。
総勢35名のツアーだったので、全部で6台でした。
1台にお客さん6名まで乗れます。
次は、壁の向こう側、カソリック居住地区へ移動します。
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写真を拡大する | カソリック居住地区に入ると、紛争で亡くなられた方々の記念碑などがありました。
ここを見学していた時に、突風でこの黒幕が突然・・・
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写真を拡大する | 下りて、この垂れ幕が。
紛争で亡くなられた方々です。
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写真を拡大する | 慰霊碑もありました。
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写真を拡大する | デリーのボグサイド紛争の直後、1969年8月15日に、カソリック居住区のボンベイ・ストリート全てと隣接する通りの一部が、ユニオニストによって焼き払われました。
このような悲劇が二度と起こることのないように/NEVER AGAIN!というメッセージ。
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写真を拡大する | 壁のすぐ向かいに建つ家。
庭全体が柵で覆われています。
自宅って一番リラックスできる場所であるべきなのに。
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写真を拡大する | 1981年のハンガー・ストライキで命を落としたボビー・サンズ。
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写真を拡大する | シン・フェイン党本部
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