
写真を拡大する | 電車でプラハから2時間くらい(多分)で、
ドレスデンにほど近いテプリツェ (ドイツ語風に読めばテプリッツ) に到着
19世紀にハプスブルク家を始めとする貴族や
文化人の社交の場であったことを偲ばせる、壮麗な駅舎
|
 |

写真を拡大する | 駅の中。
ドイツとの境(エルツ山地)に近づくにつれ、
プラハ市内には見られなかった雪が多くなってきたため、
念のためプラハに戻る手段を、予定していたバスから電車に変え、
駅内で切符を買った(サバイバルチェコ語を駆使)。
こんなことなら往復切符を買っておくのだった…
(往路の切符はプラハ中央駅のnational切符売り場で買いました。
一応チェコ語のメモを用意しておきましたが、英語も通じました)
|
 |

写真を拡大する | Kurの場所の方へ向かって、旧市街を抜ける
|
 |

写真を拡大する | 城庭園。
1812年7月19日にゲーテとベートーヴェンが出会った場所
普段Wien郊外で夏をすごすベートーヴェンと、
カールスバート (Karlovy Vary) にいることの多いゲーテ。
そんな2人を引き寄せた遠因は、
ベートーヴェンの第3交響曲を捧がれそびれたナポレオン。
彼のモスクワ遠征の関係で、
この年多くの貴族がTeplice に集まっていました。
ゲーテのご主人Weimar大公もその1人で、
同じくこの地にいたオーストリア(もう「神聖ローマ」ではなく)皇后がゲーテのファンだったので、
ゲーテはカールスバートから呼ばれてしまったようです。
|
 |

写真を拡大する | この場所をハプスブルク家の人々が通った際、
ゲーテは敬礼し、ベートーヴェンは無視してゲーテを詰ったというのは有名なエピソード。
いくらオーストリアを代表する音楽家でも、
自分の住んでいる国の君主かつ自分のパトロン(ルドルフ大公)の家の人に対してそんな態度をとって
お咎めがなかったというのもある意味すごい。
この公園には2人が会ったというプレートがあるはずなのですが、
雪で埋もれているのと、
変な人に何度も追い掛け回されたので探せず…
(↑小綺麗な格好をしていながら、しつこく「自分は貧しいのだ、金をよこせ」と英語で話して追い回してくる。プラハ市内にもドイツにでもどこにでも貧しさから他の人にお金をくださいと言っている人はいるけれど、身なりの良い人も追いかけまわしてくる人も見たことはない。絶対怪しい。他のドイツ人らしいKur客はお金を恵んでいたようだ。だから奴もやめられないのだろう)
|
 |

写真を拡大する | その公園の後ろには、社会主義的建築群が広がっています
|
 |

写真を拡大する | Lázeňský dům Beethoven
(Kurhaus Beethoven)
http://www.lazneteplice.cz/cz/lazenske−domy/ld−beethoven/
|
 |

写真を拡大する | Zámecké náměstí (城広場)
右手に見えているのがクラリー伯爵のお城
現在は博物館になっているようです
|
 |

写真を拡大する | 「ベートーヴェン泊まる」のプレートが埋め込まれた建物。
1812年7月6日にベートーヴェンはTepliceに到着。
この日と翌7日の日付で、カールスバートにいた
「不滅の恋人 meine unsterbliche Geliebte」に
手紙が書かれています。
"guten Morgen am 7ten Juli −
schon im Bette drängen sich die Ideen zu dir meine Unsterbliche Geliebte, hier und da freudig, dann wieder traurig ..."
(Quelle: http://www.martinschlu.de/kulturgeschichte/klassik/beethoven/brief_ug.htm)
|
 |

写真を拡大する | 宿のある通りの家には、
このような飾りがついていて可愛い
|
 |

写真を拡大する | 上の通りを反対側から見たところ
|
 |