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【湖南省】 長沙・岳陽 * 毛沢東の故郷と洞庭湖を旅する
アジア >> 中国 >> 湖南省
2003年11月01日〜2003年11月06日 / 写真16枚
湖南省ホテル情報
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秋興や 陽の沈みいく 岳陽楼
【湘南】といえば、僕は、相模湾に面する海岸地方を思い出すのだが、湘南の本家本元は、中国は湖南省の湘江の南に位置する地方のことのようだ。相模の国の南を【湘南】と名付けた日本人は、【相】という字に同じ音読みの【湘】という字を当てはめ、湘南と名づけただけではなく、中国の湘南地方の風土を本当に理解し、愛していたのであろう。
湖南、湖北省は極めて、歴史の古い地方であり、中国の近代史にとっても、極めて重要なところでもある。
時雨降る中の旅立ちは、忍ぶる身には些か都合はよくあれど、侘しさとの凌ぎあいを強く感じるのである。とは言え、小雨降る上海の雑踏に紛れ込めば、やがて元気になって行く、己の軽さにいつも助けられているのである。
湖南省の省都【長沙】には、上海から飛行機で1時間半。街の真ん中を洞庭湖に注ぐ【湘江】が流れ、その東側に拡がる旧市街地は、開放改革以来、スクラップアンドビルドの工事ラッシュの中にあり、至るところで、取り壊され、掘り返されている中で、残されし歴史の残影を、かろうじて追い求めることが出来たのである。
湘川の西側に拡がる【岳麓山】の麓にある名門【湖南大学】を通り、最古の大学といわれる千年学府【岳麓書院】は、今が紅葉の盛り、その紅葉の中をゆっくりと佇み歩き、若き日の毛沢東が激論を戦わせた【愛晩亭】に至りて、かすかな寛ぎを感じていたのである。
毛沢東の故郷【韶山】は、長沙からは90Km、嘗ては、山に囲まれた静かな農村も、今は土産屋が建ち並ぶ観光の地に開放改革され、さてさて毛沢東はどのような感慨を持って故郷を見ているのであろうか。
久しぶりの中国での鉄道の旅は、先ずは、長沙から洞庭湖畔の【岳陽】までの2時間である。途中憂国の士屈原の身を投げし【羅江】を横切り、やがて大詩人たちの創作意欲を掻き立てた【洞庭湖】と、長江に囲まれた街、【岳陽】にたどり着いた。
【岳陽楼】から眺める晩秋の洞庭湖の面積は、その夏の面積に比べ、日本最大の湖である琵琶湖の2倍半ぐらいの面積相当が狭くなると聞き、その大きさに改めて驚くのである。湖畔公園のベンチに座り、空のどこかに扶桑(日本)への道があるのだろうか、列を乱すことなく鳥が渡って行く様子を、暫し眺めていた。
【岳陽】から【武昌】までの列車の旅は、まことに賑やかな道中である。子供の料金をめぐって車掌との口論、切符なしの客とのトラブル、検札に狸寝入りをする客や、やたらあちらこちらと動き回る客などを眺めていれば、退屈する暇もないのである。この魑魅魍魎列車の旅の終わりの【武昌】駅には、夕闇に翳むころに到着した。
武漢市は、長江(揚子江)を挟んで漢口、武昌、漢陽の3つが合併した街、その中心は、あの屈辱の歴史をもつ旧租界地のある【漢口】である。長江の【武昌】側に、聳える李白の七言絶句“黄鶴楼に登り、友人孟浩然が揚州に旅立つ見送り”の時に詠まれたあの【黄鶴楼】に登り、露時雨に霞む長江を眺めながら、古の出来事を思い廻らすのである。この地はまた、1911年武昌蜂起の【辛亥革命】の地、孫文の銅像と向き合い、しばし今日の中国を語る。
そして、旅の終わりはいつもの上海である。この旅行で気になることは、沿岸部と内陸部のいわゆる南北問題であり、国民の間の貧富の差の拡大である。南北問題は、その町に一歩踏み入れれば、歴然と感じ取れるのだ。街を走る高級車と、旅行者に纏わり着く“物乞い”の多さからも、貧富の差が広がっているように思える。この旅行でも、街で、駅で、そして観光地で、やたら“物乞い”に遭遇し、その執拗さに、まことに不愉快な気分になっていくのである。
有人衛星を打ち上げるほどの経済力があるのに、一方では子供に哀れを誘うために自分の体に傷つけてまでも、物乞いを強いる社会に、果たして近代的な政治が存在しているのだろうか、という素朴な疑問を感じるのである。
とは言え、中国では“物乞い”は職業として存在しており、いわゆる乞食の種類には4種類あるという話を聞いたことがある。云われて見れば、湖北、湖南の旅では、体の障害で哀れみと同情を買おうとするもの、乳飲み子を哀れに抱え込み、同情を訴える2種類の伝統的な物乞いを確認した。上海では、缶に小銭を入れガチャガチャ鳴らしながら近づき、小遣いをせがむ小学生ぐらいの物乞いと、質素ではあるが、小奇麗な服装で、何やらぼそぼそと話しながら近寄ってきて、小声でしかも丁寧にお金を要求する中年の家族連れの物乞いに遭遇したのだが・・・。乞食社会にも開放改革、近代化、そして南北問題があるのだろうか。
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写真を拡大する | 長沙市の【岳麓山】の麓に、最古の大学といわれる千年学府【岳麓書院】の案内図
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写真を拡大する | 【岳麓山】の麓
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写真を拡大する | 湖南省長沙での食事:
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写真を拡大する | 湖南省長沙での食事:
毛沢東も愛したと言われる湖南地方の【臭豆腐】。
紹興地方のの臭豆腐と違って、色は墨色、堪えられないほどの匂いに、僕は少し飲み込んだが、後はギブアップであった。
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写真を拡大する | 湖南省の長沙からは90Km離れた毛沢東の故郷【韶山】にある毛沢東の生家付近
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写真を拡大する | 湖南省の長沙からは90Km離れた毛沢東の故郷【韶山】にある毛沢東の生家
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写真を拡大する | 湖南省の長沙からは90Km離れた毛沢東の故郷【韶山】にある毛沢東の生家付近
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写真を拡大する | 湖南省の長沙からは90Km離れた毛沢東の故郷【韶山】にある毛沢東の生家付近
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写真を拡大する | 毛沢東の妻(1920年結婚)、楊開慧は、長沙にある第一師範学校時代の毛沢東の恩師楊昌済教授の娘であり、後に国民党に殺されている。
父の故郷である長沙県板倉に楊開慧の墓苑がある。
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写真を拡大する | 洞庭湖湖畔の【岳陽楼】
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写真を拡大する | 岳陽での夕食
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写真を拡大する | 岳陽での夕食
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写真を拡大する | 武漢市武昌にある【黄鶴楼】
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写真を拡大する | 武漢市漢口での夕食
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写真を拡大する | 武漢市漢口での夕食
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写真を拡大する | 武漢市漢口での昼食
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